2011年11月28日月曜日

大東亜に生きた韓国人に思う

鹿児島県の知覧町は、特攻隊の基地があった。基地近くの食堂に特攻の母と呼ばれていた「鳥濱トメ」さんという人がいた。トメさんは特攻隊員悩みや相談を真心で受け止めてきた。映画『君がために僕は死にゆく』でもシーンの一つにあったが、特攻隊員の光山文博/卓庚鉉、少尉についてのエピソ-ドを紹介する。

光山少尉は出撃前夜に世話になったトメさんの経営する富屋食堂へ、トメさんとの最後の別れをしに来た。店にいる兵隊の歌声に耳を傾けていた光山少尉に、トメさんは、今夜が最後だから、光山さんも歌わんね、と勧めると、そうだね、最後だからね。僕の故郷の歌を歌うから聞いてね、とアリランを歌った。

此の時、初めてトメさんは、特攻隊員の中に韓半島出身者がいることを知った。無論、光山少尉ら韓半島出身の特攻隊員も靖國神社に祭られている。徴兵制は、韓半島では免除されていたが、学徒動員と共に実施され、光山少尉も飛行兵を志願し、選ばれて特攻隊員となった。

光山少尉/大尉、のお父さんは、息子を誇りに思い、墓碑には、日本陸軍隼大尉と刻んだ。陸軍一式戦闘機、通称隼に乗り逝いた息子を称えるために隼大尉と刻まれた。斯くのごとく韓半島出身者も、大東亜の大義に命を捧げよう、日本人として生きようとした人々も数多くいた。

世紀の遺書の中には、BC級戦犯として処刑された韓半島出身兵士の遺書もあり、処刑直前に、「激しき感動をかみしめつつ海行かばを唱ふ」と書き遺し、或いは、「故国日本、朝鮮の弥栄を祈る」と記して刑場の露と消えた韓半島出身の人々も数多いた。

さて、昨今、我が國の指導者層には、較べることすら、否、考えるだけでも悍ましいのだが、英霊光山文博/卓庚鉉、大尉の足元に遠く遥かに及ばない、醜悪極まりないマインドの人モドキが至る所で蠢動し、貞観地震/貞観11年5月26日、ユリウス暦869年7月9日、以来、壱千年に一度の大震災と相俟り、日本國は大東亜戦争終結以降最大の國家危機に直面している。

一日一刻も早く、君側の奸である馬韓鹿人に連なる国賊どもに破邪の鉄拳を喰らわせて、我ら大和民族自らの手で此の世から永久に葬り去らねばなるまい。