2011年10月9日日曜日

西村真悟 「驚くべき劣化、化石頭をみた」

あまりにも馬鹿馬鹿しい発言を残して、さっさと入院した小沢一郎氏の件に関し、当初はあほらしくて何も言うまいと思った。 しかし、やはり言っておこうと思い直した。

総理大臣になった野田氏の「ドジョウ」といい、この度の小沢氏の記者会見といい、ことごとく、日本国内の狭い封鎖社会を想定した甘えた発言であり、日本が存在する国際社会を意識していないからである。

ドジョウとは、英語、フランス語、ドイツ語またロシア語など、少なくともサミット参加国では、何と訳すのだろうか。そして、各国ではどういうイメージをもった魚なのか。これを知った上で、野田氏は自らを「ドジョウ」になぞらえたのか。

仮に、我が国以外の国では、ドジョウは泥の中で腐った死肉やヘドロを食う汚い魚というイメージで語られているならば、野田氏が総理としてその国を訪問する時に、「ドジョウが来る」と報じられれば、「汚い卑しい奴が来る」と報じられるのと同じ意味になる。

とは言え、我が国には「ドングリころころ」の童話があり、相田みつおさんの「どじょう」の言葉もあり、野田氏がこのドジョウのイメージを盗んだのだと、各国に説明すれば、そのほほえましさに各国も納得するだろう。

しかし、小沢氏の、自身が被告人となった刑事裁判の第一回公判後の発言は、決定的に日本を貶めた発言となった。

何故なら、小沢氏は、我が国をリビアのカダフィー体制下の国や北朝鮮や中共と同レベルの政治体制下の国だと言ったからだ。

カダフィーのリビヤや北朝鮮や中共では、権力者に逆らう者は、投獄され抹殺される。国民の人権保障の体制がなく民主主義もない。

そして、小沢氏は記者会見で、自分自身を、国家権力を乱用する検察から政治的に抹殺するための執拗な攻撃を受けている犠牲者だと位置づけたのだ。つまり、小沢氏は、人権保障も政治的自由もない日本で、自分は刑事被告人とされている、裁判自体が不当だと、語ったのである。

この小沢氏の極めて幼稚な発言を聞いて、更に記者に対する攻撃的な表情を見て、それから夕食を食べてからゴマすりの指示による取り巻きの拍手で見送られる得意な笑顔を見て、ちゃんチャラおかしく馬鹿馬鹿しく、何も書く気にもならなかった。

しかし、不幸にして我が国政治の世界において、小沢氏は「大物」である。従って、この小沢氏の発言が如何に我が国を貶めたが、日本国民の名誉を損なったか、これは指摘しておかねばならないだろう。

小沢氏の発言により、悪意を以て我が国を取り巻く諸国は、次のように揚げ足を取ってくる手段を手に入れた。

小沢氏が言うように、やはり、日本には、公正な刑事司法はない。そのかわりに、政治的意図で権力を乱用する検察がある。その恐怖政治のもとで日本国民は羊のように抑圧され民度は極めて低い。

従って、小沢氏の発言は、「お前だけには言われたくない」という国から、次のような日本非難を呼び込むだろう。

例えば、中共から。「やはり日本には法と正義はなく、昨年9月の日本政府の尖閣沖での中国人船長逮捕は極めて不当なものであったことが裏付けられた」、「日本政府は、在日中国人の生活保護申請を邪魔して不当に弾圧している」、 「我が人民解放軍野戦軍司令官は、日本解放まであと一歩という信念のもとに野蛮な日本の検察を相手に戦っている。彼を熱烈に応援して日本を解放しよう」

北朝鮮から。「日本に抑圧されているのは小沢同胞だけではない、日本政府は多くの在日朝鮮人の人権を不当に弾圧している」、「やはり、日本には法も正義もなく、日本政府の北朝鮮による日本人拉致は、でっち上げだった」

最後に、小沢氏の公判廷と記者会見での発言は、昭和四十年代の大学紛争時の過激派のパターン化された思考形態が、化石のように小沢氏の頭に残っている事を示したのだ。

驚くべき事であるが、小沢氏は、大学紛争時の極めて低級で幼稚な頭から何も変わっていないのである。そして、類は類を呼ぶ。同じようにその頃から何も変わっていない弁護士の理屈に、藁をも掴む思いで従っているのだ。

ということは、小沢氏は自ら、菅直人同様に学生時代から正真正銘の左翼だったことを証明したことになる。

あの昭和四十年代当時の、過激派は、何かあれば、国家権力の横暴と抑圧から人民を解放すると叫び、自らを何時も、国家権力に抑圧されている犠牲者だと位置づけていた。

三里塚闘争、新宿騒乱、日大闘争、安田講堂事件、浅間山荘事件、日本赤軍、皆そうである。そして、その時の日本赤軍的アジ演説を、四十数年後に、こともあろうに、小沢氏の自己弁護の記者会見で聞いた次第だ。

思わず、ほほえむほど馬鹿馬鹿しく、ちゃんちゃらおかしかった。そして、思った。アホな理屈に逃げ込むな。正々堂々とせよ。

なお、言っておく。検察も人間の組織である。時に権力の乱用もある。その検察による権力の乱用を受け、それと戦ってきたのは、この私だ。